(商品番号4)
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花御堂 (大正年間の製作と思われる)
本朱漆塗 塗師:二代 渡辺喜三郎
台座
総漆塗仕上 塗師:二代 渡辺喜三郎
色漆のみを幾重にも重ねるなど、塗りだけで華やかな台座を見事に表現しております。随所に塗師の超絶技巧が見られる素晴らしい仕上となっています。
天井画・花御堂柱・斗組・蛙股等 彩色仕上
本岩絵具使用 彩色・大和絵:木村武山
花御堂の天井には異なる八龍の大和絵が施されております。
二代 渡辺喜三郎プロフィール
明治2年-昭和18年(1869-1943)
渡辺喜三郎は、二代、三代ともに益田鈍翁など財界茶人らの愛顧を蒙り、 数々の名器を生み出した。
益田鈍翁は焼物の大野鈍阿、建築の仰木魯堂、 籠師の池田瓢阿、塗師の二代、三代渡辺喜三郎など多くの職人を育てた。
西の宗哲、東の喜三郎と称されている。
木村武山プロフィール
1876(明治9)茨城〜1942(昭和17)東京
本名信太郎。 父は旧笠間藩士。 笠間の南画家桜井華陵に手ほどきを受け、23年上京して開成中学校に入学するが、川端玉章の画塾天真社で学び、24年東京美術学校に入学する。29年同校日本画科を卒業、研究科に進級、日本絵画協会絵画共進会で受賞を重ね、34年日本美術院正員となり39年の日本美術院の五浦移転にあたり横山大観、下村観山、菱田春草らとともに北茨城の五浦に移住する。40年文展開設にあたり新派の国画玉成会に日本美術院を代表して参加、評議員・幹事となる。大正元年東京に戻り、3年日本美術院の再興に経営者同人・評議員として参加、再興院展に優れた技巧、色彩感覚を生かした壮麗な花鳥画、仏画を出品する。昭和12年脳溢血で倒れ笠間で静養、13年右手が不自由となり左手で制作、左武山の異名をとる。
花御堂 宝珠部分、柱部分に箔スレあり
釈尊誕生仏 指部分欠けあり
台座華盤部分に修復跡あり
釈尊誕生仏及び花御堂
(桐箱付)