(商品番号:3)
千手観音像
仕様:水炎透舟後光、銘書あり「大仏師法眼七條左京作、洛東清水寺」
寸法:御身丈1寸
法眼七條左京
慶派。江戸時代の七条仏師。仏師系図に見る左京法眼康祐と称していた大仏師康祐、若しくは延享二年(1745年)「京羽二重大全」に法眼七條左京康傳と但し書きされた大仏師康傳、この二人のどちらかの作品であると考えられる。
左京法眼康祐の作例としては、福岡県柳川の福厳禅寺の造仏や東京増上寺の二天王立像などがあり、七條左京法眼康傳の製作と考えられる作品は五件ほど現存する。第一は、仏師系図に宝永七年(1710)徳川綱吉の江戸城紅葉山仏殿に調進したと考えられている梵天・帝釈天・広目天・多聞天の四体で、現在川崎市泉沢寺に蔵せられている。第二は正徳4年(1714)に家宣の紅葉山霊廟に造進されたといわれる一組の四天王像で、これは現在芝の増上寺安国殿にあり、第三の家継の増上寺霊廟御門の二天像はそのまま門とともに残っている。あとは将軍家とは離れた造像で、元禄七年(1694)頃の作とされる東京都品川の東海寺十六羅漢像と享保十二年(1727)の兵庫県豊岡の弥勒寺開山桃渓甫仙像である。天部像はいずれも伝統的な七条仏師らしい、この時期の作品としては堅実な作風のものであり、後の二者は若干黄檗風の趣を取り入れた跡を示している。
本像は身丈が3pという小像でありながら、極めて精緻な彫刻を施し、その仏師としての技量の高さが窺われる。
(参考文献:日本の美術506江戸時代の彫刻)
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