1.仏壇の起源 
 
 もともと仏壇とは仏様を安置し、礼拝や供物をそなえるための壇であったことから、仏教の伝来552年(または538年)とそれほど多くの年を違えず作られたものと考えられます。実際、世界最古の木造建築である法隆寺金堂にも広い板敷の壇(仏壇の原形)があったと推察されています。
 貴族社会においては、奈良時代から平安時代にかけて持仏堂や仏間の建立が盛んとなり、法隆寺の玉虫厨子や中尊寺金色堂、平等院鳳凰堂などの持仏堂(じぶつどう)が造られました。その後、寺院用の仏壇は須弥壇(しゅみだん)として、在家用の仏壇はこの玉虫厨子をルーツとして発展していきます。
 
 2.京仏壇の起源
 
 今触れたように、仏壇自体の起源が7世紀頃であったのに対し、京仏壇の起源は、都が京都に遷った(794年)後、しばらく経った9世紀頃とみられています。京都は宮廷文化の中心地であるとともに、仏教文化の中心地でもあったことから、各宗派の総本山が集い、それぞれの宗派の発展とともに京仏壇、京仏具の技術や伝統も育まれることとなりました。
 
 3.京仏具の起源
 
 仏具の歴史は仏壇より早く、仏教の伝来とともに始まったと考えられ、京都における仏具の製作は8世紀頃には始められたと推定されています。京仏具が本格的に生産され始めたのは仏師定朝が京都七条に仏所を設けてからで、11世紀の初めのことでした。以後、千年にわたって京仏具は、伝統と文化に培われ伝統的工芸品として発展を遂げてきました。
 
 4.真宗における仏壇の原形
 
 天台宗・真言宗・禅宗では、位牌の安置場所として小さな箱や棚が台所や奥の間に設けられ、それが仏壇となっていった傾向が強いのに対し、真宗においては押板飾り(おしいたかざり)という床の間の飾りが原形となったといわれています。
 
 5.仏壇の普及
 
 室町時代にはいると浄土真宗の蓮如上人は、農村地帯を中心に布教活動を進め、門徒たちに家毎に仏壇を備え、日々の勤行を勤めることの大切さを説きました。
 仏壇が全国の家庭に設けられるようになったのは、江戸幕府が切支丹禁制のため寺請制度を設けて、すべての人間がいずれかの寺院の所属となり、仏壇のない家は邪宗門として告発されるようになったからです。
 江戸時代中期には、農家における三重品の一つとして「座敷に仏壇、台所に戸棚、庭隅に牛」といわれるようになり、また、真宗においては立派な仏壇を持つことは教団での位置づけに重要な意味をもつなど華麗でかつ目立たない中に華美を集約するという現在の形に近い仏壇が受け入れられるようになりました。私(犬塚由己雄)がお洗濯をさせていただいた江戸中期〜後期のお仏壇でも、形はまだ現在の京仏壇の形に定まりきってはおりませんが、本山の阿弥陀堂のご荘厳(しょうごん)をお仏壇の中に取り入れるという点と、木地の組み方は全く現在の京仏壇と同じでした。
 
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お仏壇の前狭間