1.御本尊 |
真宗大谷派の御本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)様で、お立ちになったお姿で表されています。このお姿は、浄土三部経のひとつである観無量寿経にもとづいてあらわされた住立空中尊(じゅうりゅうくうちゅうそん)をあらわしたものといわれます。座してはおれず立ちあがって一歩ふみ出そうとするお姿は、まさに迷える衆生を救わねばという阿弥陀如来の大悲大願の行をあらわしています。右手は限りなき智恵、左手は限りなき慈悲を表しています。 また、阿弥陀如来は蓮台の上に立ち、後光があります。蓮は泥の中より清らかな花を咲かせます。泥つまり三毒(貧欲・瞋恚・愚痴)(とんよく・しんに・ぐち)に染まらず、浄く生きてほしいという仏の願いのあらわれです。後光は48本の筋で阿弥陀如来の四十八願をあらわしますが、十方をあまねく照らし、しかも衆生を差別なく照らすという智慧の意味をもっています。 なお、瞋恚(しんに)とは、自分の心に違うものを怒り恨むことを意味しています。 |
2.御脇掛(おわきがけ) |
御本尊の左右にお掛けする掛軸を御脇掛といいます。向かって右側に帰命尽十方無礙光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)の掛け軸(十字名号)を掛けます。帰命とは南無を漢字に訳したもので、意味は帰依しますということです。したがって、「とどこおる事なく十方を照らして、どんな隅々の者までもお救いくださる仏さまに帰依します」という意味になります。 向かって左側には南無不可思議光如来(なむふかしぎこうにょらい)の掛け軸(九字名号)を掛けます。私たち人間では到底思い量る(思議)ことのできない大いなる仏さまに帰依しますという意味です。南無とは古代インド語のナームを音写したもので、この南無を漢字に訳したものが、帰命です。 なおどちらも、光如来であらわしますが、煩悩の闇を照らす永遠の光明である阿弥陀如来の徳をあらわしたものですから、べつべつの如来ではありません。また、右側に宗祖「親鸞聖人」と左側に中興の祖「蓮如聖人」のご影像を掛けることもあります。 |
3.法名軸(ほうみょうじく) |
亡くなられた方の法名を掛軸にして、お内仏の左右両側面に掛けます。生きている私たちともども、御本尊の阿弥陀如来を中心として聞法し念仏もうすかたちをあらわして、お内仏の側面にお掛けするわけです。お念仏の心のうちにこそ、ほんとうに親や祖先の徳をしのび、ご恩をいただくことができるのではないでしょうか。 |
御脇掛 南無不可思議光如来 |
阿弥陀如来 | 御脇掛 帰命尽十方無碍光如来 |
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